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山形発!長編ドキュメンタリー映画『湯の里ひじおり-学校のある最後の1年』は、山形県大蔵村肘折温泉の1年を記録しました。故郷、地域に暮らすことの愛おしさが伝わってきます。心が癒され、元気がでてくる映画です!!
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2017/12/11 (Mon)
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2009/07/03 (Fri)

渡辺智史監督がメルマガneoneoに連載している 「『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』が出来るまで」をこれから4回にわたって掲載します。
連載第1回となる「さまざまな『映画』との出逢い」では、『湯の里ひじおり』に至るまでの前史がつづられています。

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo
http://homepage2.nifty.com/negri-project/neoneo/



 『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』が出来るまで(1)

渡辺 智史

●さまざまな「映画」との出逢い

ドキュメンタリー映画『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』を監督した渡辺智史です。この映画は山形県大蔵村の肘折温泉を一年にわたって撮影し、2009年3月に完成しました。私は飯塚俊男氏が主宰するプロダクション(有)アムールに3年勤めた後、フリーで映画制作に従事しています。フリーになった直後にこの映画の監督をすることになり、プロデューサーは飯塚さん、カメラマンは『靖国YASUKUNI』を撮影した堀田泰寛さん、音の仕上げは数々の映画の名作に携わっている久保田幸雄さん、編集は『ゆきゆきて神軍』を編集した鍋島惇さん、ナレーターは数々の記録映画に参加している伊藤惣一さん、錚々たる大ベテランのスタッフと一緒に仕事をすることができました。本当に様々な人々に支えられて映画が完成し、現在は上映活動が本格的に動き始めています。この映画が完成するまでの過程を辿りながら、若輩者の私が経験したドキュメンタリー映画の現場をお伝えできればと思います。今回は『湯の里ひじおり』を撮影するに至までの経緯を、私がドキュメンタリー映画に出会った時に遡りながら辿っていこうと思います。


1999年に山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)に出会った時、私は山形市の東北芸術工科大学(芸工大)で建築を学ぶ大学生でした。この年のコンペティションはビデオが解禁される前の最後の映画祭で多くのフィルム作品が上映されていました。一方でアジア千波万波のプログラムでは、海外のアジアの映画作家が身近な題材で、社会的なテーマをビデオで描いていました。私は『新しい神様』(監督:土屋豊)等の、プライベートなドキュメンタリー映画に親近感を感じながら観ていました。社会的な問題意識が低かった18歳の私は、ビデオカメラを片手に自由な発想で、家族や友人を撮影しながら社会的なテーマを語っている映画作家の姿に爽快で、底知れない魅力を感じたのです。

その後、芸工大の赤坂憲雄氏が主宰する東北文化研究センターで、学生が民俗映像を制作するというプロジェクトが始まり、私は参加しました。その時に講師で来ていた飯塚さんや、プロの映画スタッフと出会い、ドキュメンタリー映像制作の基礎を知りました。一方で、自由な表現スタイルをもった作品群をYIDFFで観ていたことから、より幅広く映画の表現方法を知りたいと思い、大学卒業後上京してイメージフォーラム付属映像研究所で、金井勝さんや、かわなかのぶひろさんから個人映画や実験映画を学びました。8ミリフィルムを手で触りながら編集したこと、多くの実験映画を観たことなど、興味深い体験でした。

その後飯塚さんの会社で映像制作に従事しました。飯塚さんは、故・小川紳介が主宰していた小川プロで助監督を長年務めながら、山形の上山市の牧野村に十数年住み続け映画を作ってきました。独立後も長期の映画制作で、チョウセンアカシジミ蝶の一年を記録したり、青森県の縄文遺跡・三内丸山の発掘現場を一年見つめた記録映画を監督してきました。かつてフィルムが主流だった頃は、文化映画と呼ばれる、大きな予算の記録映画を作ることができました。その後はコストがかからないデジタルビデオでの制作が主流になり、少人数の編成での撮影や、PCでの編集が主流になり、映画制作の予算は大幅に減少していきました。(有)アムールの仕事も少人数の編成で短期間の仕事が多くなっていました。飯塚さんの最新作で、YIDFFの2007年の様子を記録した『映画の都ふたたび』は、私がビデオカメラで撮影し、飯塚さんがマイクで録音しながらインタビューするという制作体制でした。次第に飯塚さんのなかで、小川プロで経験したように、長期の制作体制で村を撮影したいという欲求が高まっていました。そんな時に肘折温泉を撮影しないかという誘いがありました。

かつて小川紳介さんが若いスタッフと一緒に、肘折温泉で映画を作ろうとしていましたが、小川さんの病気によって撮影は中断してしまいました。小川さんが亡くなった後、撮影途中だったフィルムでまとめた『肘折物語』というラッシュフィルムができました。その映画には、真夜中に激しく雪が吹き付ける様子や、分厚い雪雲のなかに見え隠れする太陽が真っ白な月のように見え様子、除雪車の轟音、高く雪が敷き詰められた道で太鼓をたたきながら歩いてくる僧侶の姿が映っています。
また途中で撮影者の加藤孝信さんが、このカットは露出がいくつで、どんな風に撮影したのかと説明する声が入ってきたりします。このフィルムを観たとき、ラッシュを観たという印象ではなく、個人映画のような輝きをもったフィルムだなあと思いました。なんて自由なスタイルで撮影をしているのかという驚きと、肘折の冬の特徴をしっかりと捉えているなあとも思いました。撮影の堀田カメラマンも『肘折物語』を興味深く観ていました。このフィルムを観た後、現実の村の時間とは異質な、映画の時間を一年かけて描きたいと強く思うようになっていきました。その思いが、映画制作を進めるにあたって一つの指針になっていきました。実際の予算はなかなか厳しかったのですが、肘折地区の協力を得て、長期の映画制作が08年の4月からスタートすることになりました。次回は、『湯の里ひじおり』の撮影現場でのエピソードを中心に書きたいと思います。      (つづく)


■渡辺 智史(わたなべ・さとし)
監督。1981年山形県鶴岡市生。東北芸術工科大学在学中に東北文化研究センターの民俗映像の制作に参加。2002年『関川のしな織り』で撮影を担当。03年山形県村山市の茅葺集落五十沢の1年を追う。上京後イメージフォーラム附属映像研究所に通う。05年アムール入社。06年障がい者が参加する第九合唱を描いた『An Die Freude 歓喜を歌う』で撮影・編集。07年『映画の都 ふたたび』で撮影。08年3月フリーとなる。

☆『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』はこの6月より山形県最上地方を皮切りに、全国各地にて上映いたします。現在までに決定している上映は下記の通りです。
※上映等のお問合せは、肘折の映画を支援する会事務局(03-3555-3987)または、各地の上映実行委員会へお願いします。

●最上:09年6月~7月にかけて山形県最上郡および新庄市の8市町村にて上映予定
最上地区上映実行委員会連絡先 TEL:0233-34-6106(肘折いでゆ館)
●東京:09年7月23日(木)24日(金)25日(土) 江東区文化センター
     連日 開場18:30~ 上映19:00~
     肘折の映画を支援する会 TEL:03-3555-3987(パンドラ)
●前橋:09年8月21日(金)22日(土)23日(日) シネマまえばし
     前橋市上映担当 TEL:027-360-6421(デイみさと・田部井)
●鶴岡:09年8月29日(土) 鶴岡市中央公民館
     第1回 開場13:00~ 上映13:30~
     第2回 開場18:30~ 上映19:00~
     鶴岡上映実行委員会 TEL:0235-76-2177(村田)

映画「湯の里ひじおり―学校のある最後の1年」を支援する会ブログ:
 
http://hijiorieiga.blog.shinobi.jp/


今週は最上郡金山町での上映が行われます!

7月 5日(日) 金山町 中央公民館・大ホール
          上映①10:00~ ②14:00~

 上映詳細については、
最上地区上映実行委員会までお問い合せください。
連絡先 TEL0233-34-6106(肘折いでゆ館)

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上映日程
芸術と食欲と温泉の秋。つくば上映は2010年11月21日(日)筑波学院大学にて!
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肘折の映画を支援する会
性別:
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