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山形発!長編ドキュメンタリー映画『湯の里ひじおり-学校のある最後の1年』は、山形県大蔵村肘折温泉の1年を記録しました。故郷、地域に暮らすことの愛おしさが伝わってきます。心が癒され、元気がでてくる映画です!!
2024/03/29 (Fri)
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2009/08/25 (Tue)
渡辺監督がメルマガneoneoにつづる「『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』が出来るまで」。
最終回は、ドキュメンタリー映画はここで決まるといっても過言ではない、編集の過程と、先日迎えた東京上映についてつづられます。

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo
http://homepage2.nifty.com/negri-project/neoneo/


『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』が出来るまで(4-最終回)
渡辺 智史

●鍋島惇さんの編集術

映画『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』の撮影した映像は、最終的に100時間近くになっていました。編集者の鍋島惇さんが参加した際には、文化庁への最終提出期限までの時間は1ヶ月しかありませんでした。困難が予想されたのは、3月21日閉校式の撮影の前日と当日に最後の撮影をし、翌日1日で編集を終えて完パケして現像所に渡さなければ、文化庁に提出期限に間に合わないという強行のスケジュールでした。

鍋島さんに、私がすでに編集していたラッシュを3時間見てもらいました。その時は「なんか暗い印象が強いなあ。この編集を見る限りでは、肘折に行きたいという気持ちにはならないよ。」というコメントでした。この3時間ラッシュは、高齢化していく村の姿、地域に暮らす人々の不安が感じられる場面が多く、老いていく村の姿をどう描くかに終始していたことが原因だったと思います。さらに鍋島さんは「あなたが言っている、<再生>という部分は、人に勇気や希望を伝えるものではないだろうか。この編集は、そうはなっていないよ。」私がイメージしていた<老いと再生>という物語、その再生の部分がしっかりと描かれていないのだと気づかされました。さらに鍋島さんから「ドキュメンタリー映画が、商業映画と違って一般の人々が観てもらえるようにするには、相当工夫をしないとだめだよ!!」と渇が入りました。
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2009/08/11 (Tue)
渡辺監督がメルマガneoneoにつづる「『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』が出来るまで」第3回は、変わりゆく湯治場に向き合った撮影当時のエピソードがつづられます。

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo
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『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』が出来るまで(3)
渡辺 智史

●湯治文化の変遷

江戸時代にはお伊勢参りに並ぶ程、多くの人が月山を目指して肘折温泉に訪れていました。明治時代以降は、大勢の農家が湯治に訪れ、布団を敷く場所がないほどだったと言います。そして今は専業農家が減り、生活スタイルが変化したことから湯治客は減り続け、湯治場での仕事が減り、人口は都会へ流出し、地域社会と共に134年の歴史を歩んできた学校が閉校した。たった百数十年の間で、日本の暮らしに根付いてきた信仰の世界、湯治という風習が、急激に消えつつあります。この肘折温泉と似た状況をどの地域社会も抱えていて、過疎化を防ごうと、公共の事業を誘致した事例の多くは経済的に赤字経営になり、過疎化はより深刻になっています。そして、多くの地域社会は疲弊し自信をなくしています。これからの時代、地域固有の文化を、それぞれのやり方で掘り下げて行かなければならない時代なのだと思います。

肘折温泉には、湯治という文化が時代の変化に合わせながら受け継がれてきました。湯治客の人々にとって肘折に来て、日常の忙しさから解放されて何もせず、湯に入り、お茶を飲み、友人と話し、疲れたら寝るという行為を一週間以上続けます。そういう時間をもつことで本当の心のゆとりが生まれるのです。湯治客の人々の取材は、ゆったりと会話を楽しむように、大変楽しい時間でした。何十年も湯治に通い続ける親子、大勢の姉妹で湯治に来て楽しんでいく姿、隣近所で集まって修学旅行に来たかのようにはしゃぐお婆さん達の会話、そういう人間模様が湯治場の活気なのです。
2009/07/14 (Tue)
渡辺智史監督がメルマガneoneoにつづる「『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』が出来るまで」。
連載第2回は、実際の撮影の模様がつづられます。

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo
http://homepage2.nifty.com/negri-project/neoneo/


 『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』が出来るまで(2)

渡辺 智史



●撮影が始まった

『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』には、数々のドキュメンタリー映画と劇映画を撮影してきた、堀田泰寛カメラマンが一年間携わってくれました。私は演出と現場進行と現場録音を兼任し、撮影助手の遠藤協と3人体制で撮影に臨みました。
撮影が始まった当初、プロデューサーの飯塚俊男は「村の一年を記録するというのは、ドキュメンタリー映画の王道だ。」と、かつて小川プロが山形の牧野村で定住して撮影した時、小川紳介監督とスタッフだった飯塚さん達が、村の人々とどのように関わってきたのかについて語ってくれました。「ドキュメンタリー映画の王道」とは、被写体と長い時間をかけた関係の構築なのだということでした。それは、かの有名な映画作家ロバート・フラハティが『極北のナヌーク』というエスキモーの映画を、寝食をともにして描いたことに象徴される話なのだと思います。
私たちスタッフは、定住ではなく、3日から長いときは10日程のロケを10回行い、2ヶ月近い撮影期間になりました。定住して撮影するというスタイルでありませんでしたが、本当に贅沢な撮影期間でした。
2009/07/03 (Fri)

渡辺智史監督がメルマガneoneoに連載している 「『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』が出来るまで」をこれから4回にわたって掲載します。
連載第1回となる「さまざまな『映画』との出逢い」では、『湯の里ひじおり』に至るまでの前史がつづられています。

ドキュメンタリー映画の最前線メールマガジンneoneo
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 『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』が出来るまで(1)

渡辺 智史

●さまざまな「映画」との出逢い

ドキュメンタリー映画『湯の里ひじおり―学校のある最後の1年』を監督した渡辺智史です。この映画は山形県大蔵村の肘折温泉を一年にわたって撮影し、2009年3月に完成しました。私は飯塚俊男氏が主宰するプロダクション(有)アムールに3年勤めた後、フリーで映画制作に従事しています。フリーになった直後にこの映画の監督をすることになり、プロデューサーは飯塚さん、カメラマンは『靖国YASUKUNI』を撮影した堀田泰寛さん、音の仕上げは数々の映画の名作に携わっている久保田幸雄さん、編集は『ゆきゆきて神軍』を編集した鍋島惇さん、ナレーターは数々の記録映画に参加している伊藤惣一さん、錚々たる大ベテランのスタッフと一緒に仕事をすることができました。本当に様々な人々に支えられて映画が完成し、現在は上映活動が本格的に動き始めています。この映画が完成するまでの過程を辿りながら、若輩者の私が経験したドキュメンタリー映画の現場をお伝えできればと思います。今回は『湯の里ひじおり』を撮影するに至までの経緯を、私がドキュメンタリー映画に出会った時に遡りながら辿っていこうと思います。

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上映日程
芸術と食欲と温泉の秋。つくば上映は2010年11月21日(日)筑波学院大学にて!
プロフィール
HN:
肘折の映画を支援する会
性別:
非公開
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